せんばやまのたぬきちのブログ

たぬきちのトイガン&サバゲーに関するブログです!

【時事】今回の事件について思うところ

みなさんこんにちわ。たぬきちです。

 

また『エアガン』が絡んだ痛ましい事件が発生しました。

一歳半の息子に父親が長物のエアガンで何発もBB弾を撃ち込んだとのこと。

その子は後日、肺炎で亡くなったそうで直接の死因はエアガンによるものではないにしろ、恒常的な家庭内暴力にエアガンが使われていたようです。

 

トイガンにまつわるブログを掲示しているものとして、はっきりと立場表明をすべきと思うので書きます。

トイガンがこんな言語道断な使われ方をしたことに、たぬきちは激しい憤りを感じています。

こんなこと、あってはならないことです。

 

サバイバルゲームをする者なら誰しも、トイガンで撃たれた時の傷みを知っています。

皮膚の厚い大人の男性でも至近距離から撃たれれば内出血になることもしばしば。

ましてや幼い子供の柔肌です。

その肉体的な傷みにもまして、親から受けた非情な仕打ちに一歳半のこどもの『心』はどれほど千々に刻まれる思いだったでしょうか。

一歳半の娘を持つ親として、たぬきちは想像するに落涙に堪えません。

 

 

 

 

 

たぬきちは『エアガン』という言葉を、このブログでは極力使わないようにしています。

それは、この言葉が社会の中でパブリックエネミー(公共の敵)となっていると感じるからです。

 

アメリカの銃規制の問題で、このような言葉を用いた人がいました。

 

 『銃が人を殺すのではない。人の意思が人を殺すのだ』

 

この言葉は規制されようとする銃を擁護するためのものだったかもしれませんが、あらためて今、この言葉を、痛めつけられてしまった幼いこどものために使いたいです。

 

人の意思が人を傷つけるのであって、エアガンの威力などの議論で本質を遠ざけてしまってはいけない。

わが子を痛めつけるほどの衝動があれば、リモコンでも食器でもなんでも凶器になる。

まして相手は一歳半の赤子です。

 

なぜ、この親はわが子をここまで執拗に攻撃するに至ったのか。

なぜ、社会はこの子を救うことが出来なかったのか。

密室ともいえる家庭内で起こりうる悲劇に対して、社会的にどんな予防策が取りうるのか。

 

そういうことにこそ心血を注いで、有識者の方には議論をしていただきたい。

『人の意思が人を殺す』のである以上、そこを遠回りした議論では人を救えないと思うのです。

 

 

 

 

やはりエアガンというものは、本質的にパブリックエネミーだと思います。

人やモノを傷つけるための武器である”銃器”の縮小再生産品だからです。

 

一方で、かつては同じく狩猟や戦争の技術であり道具であった弓や刀については、剣道や弓道などという形で社会の中で一定の立ち位置を確保している。

 

たぬきちは時々、大好きなはずのトイガン遊びが取り留めのない危険なだけのあそびに思えてくることがあります。

それはおそらく『剣道』や『弓道』のような、『道』がないからだと思います。

 

いうなれば、武術を習っていない人間が模造刀を振り回して遊んでいるようなもの。

これではだれもエアガン遊びを認めてくれないし、そうであるならばやはり、本質的にはパブリックエネミーなんだと思います。

 

それがかろうじて存在し得ているのは、トイガンメーカーや我々ユーザーが善意があることを前提に、関連法規に則ったうえで、いわゆる自己責任という言葉の範囲内で一般他者に迷惑をかけないで活動しているからです。

だから、ひとたび事が起これば、やはりパブリックエネミーとしての本質が社会悪として取りざたされてしまう。

 

居合道』などはそもそも暗殺剣の技術だったはず。それが『道』という規範を持ったことで社会的に受け入れられる正々堂々とした存在になっています。

 

エアガン遊びも、『道』という規範と格式を持つことが出来れば、スポーツとして社会の中で受け入れられるものになるのではないか。

現在、10禁や18禁などのくくりになっているトイガンの販売も、免許や資格制にして自分の所持出来る範囲を設定するのが理想的なんじゃなかろうか。

想像力のあそびの範疇でしかありませんが、たぬきちはそんなことを時々思います。

 

 

 

 

重要なので、最後にもう一度書きます。

 

エアガンという存在は、本質的にパブリックエネミーであるという自覚を忘れてはいけません。

それがかろうじて存在し得ているのは、トイガンメーカーや我々ユーザーが善意を前提に、関連法規を遵守し、自己責任の範囲内で一般他者に迷惑をかけないで活動しているからです。

 

それが理解できない人はエアガンを持たないでいただきたい。

 

わが子を虐待する親。

エアガンを反社会的な方向で乱用する人。

 

結局は、人の心を整えていかないと解決しない。

これは大変に難しい問題だと思います。

だからこそ、あるべき姿であれるよう、訴え続け、問いかけ続けていかねばならないのだと思います。

 

最後になりましたが、今回亡くなってしまった小さな命に、最大限の哀悼の意を表したいと思います。

天国で少しでも心安らぐよう、真相の究明と親の贖罪のあることを切に願います。

 

たぬきちでした。